第4回口頭弁論を傍聴して
2月8日13時15分、東京地裁709号法廷にて第4回口頭弁論が開かれました。
この日は、被告から提出された準備書面の「陳述」と証拠の取り調べを行いました。といっても書面を読み上げるわけではなく、提出された「乙○号証の○」といった証拠の番号を裁判官と被告・原告代理人の間で確認していく作業が数分間にわたって続きます。そして、被告から提出された書面・証拠への反論はまた次回なのであって、確認作業が終わると次回口頭弁論の日程調整を裁判官を挟んで原告・被告が行います。これが15分程度です。
ですから、目の前で何が行われているのかは、傍聴人にはわかりません。開廷に当たっても、裁判のタイトル的なもののアナウンスはありませんから、直前にあった同じ裁判官による別の事件の口頭弁論が始まったときには、Aさんの裁判が始まったものと身構えてしまいましたが、まったく無関係の裁判だったのでした。その事件の弁護士さんたちも、ときならぬ傍聴人の多さにおののいたでしょう。傍聴席を占めた傍聴人の大半は、Aさんの支援に駆けつけた人たちだったのです。別の事件が終了して今度こそAさんの裁判が始まりました。傍聴席に入りきれない人も含めて、この日は28名が参加したとのことでした。
終了後、弁護士から、被告が提出した書面・証拠の調べが行われたこと、その内容はセクハラ被害者の揚げ足を取りにくる主張の羅列で繰り返しが多かったこと、被告が発注し原告が作成したブログ記事を被告会社の公式サイトで公開しているにもかかわらず、契約が成立していないと言い張っていることなどの説明があったほか、活発な質疑応答がありました。
今回の口頭弁論を傍聴してくれた女性ユニオン東京のマタハラ裁判の原告からは、「女性蔑視が当たり前のようになされてきた社会で、それはおかしいと少しずつ言えるようになってきました。今回の裁判はその象徴だと思います。被告からはヘンな主張が出てくると思うけど気にしないで。応援しています」との激励がありました。
最後にAさんは、「裁判が始まった当初は、被告に謝ってほしいという気持ちもありましたが、今はそう思うだけで傷ついてしまう。これからは、人権を主張していくのみだと思って、頑張ります」と述べられました。
ハラスメント根絶、ジェンダー平等、フリーランスの権利など、ひとつの裁判からは私たちの生きる脆弱な社会の今が垣間見えます。原告として闘っているAさんを孤立させないことが、何より大事だと思いました。
樋口 聡(出版ネッツ)
Aさんの裁判支援を呼びかける記事が掲載されました【メディア掲載】
2月8日、第4回口頭弁論が行われました
「自分のため」に闘うことの大切さ
11月6日、Aさんの裁判を支援する集会で、この事件の内容を具体的に知り、支援の輪に入ることを決めました。
私は以前働いていた職場での団体交渉中に、経営陣から度重なる嫌がらせ、不当労働行為とされるハラスメントを受けました。交渉は無事、合意に至りましたが、そのハラスメント行為への謝罪は最後までありませんでした。当時受けたハラスメントは数年たった今でも忘れることはできません。
労働者をいいように搾取しておきながら、当たり前の権利を主張した途端に「裏切られた」と敵意をむき出しにし、嘘に嘘を重ね、相手を陥れるための手段を選ばない。Aさんの事件内容とは違いますが、加害者の態度はよく似ているように思いました。
私は当時、更に厳しい状況にあった同じ職場の非正規労働者や、共に闘った同僚のためにも絶対に負けられない、という気持ちでいました。私自身、充分に傷ついていたはずなのですが、「誰かのために」という気負いによって経営者や上司から恨まれるような自分の行動を肯定していたのだと思います。
田嶋陽子さんの『愛という名の支配』(新潮文庫)に「人は、他人のために闘うほうが闘いやすいのです。でも、自分のために闘いだしたとき、人はやっとひとりの人間になれるのです」という一節があります。
この言葉に出会えたときに、当時の居心地の悪さの正体が分かった気がします。私は私のために闘うべきでした。
そして今、自分のために立ち上がったAさんの勇気と覚悟を心から尊敬します。これまで多くの女性たちが「自分のため」に闘ったことによって、少しずつ、しかし確実に社会は変わってきました。
この国で、女性が声をあげることの難しさは、既に多くの人が肌で感じていることだと思います。それでも立ち上がったAさんのアクションによって、必ず何かが変わることを信じています。
ただ、当事者であるAさんだけがその重荷を背負いすぎないよう、私のできる方法でサポートさせてください。
(Aさんを支援する会・世話人S)
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2月8日 第4回口頭弁論の傍聴にご参加ください
2月8日(月)13時15分より、東京地方裁判所709号法廷にて
第4回口頭弁論(裁判)が開かれます。
被告側が、前回の原告側の主張に反論する番です。
この裁判が多くの注目を集めていることを、
裁判官や被告に意識してもらうことはとても重要です。
原告Aさんを励ますためにも傍聴をお願いいたします。
コロナ禍のため、検温・消毒・マスクの着用など感染対策をしてお越しください。
また、密を避けるため法廷内には12人ほどしか入れないそうです。
恐れ入りますが、法廷内に入れない場合があることをご了承くださいませ。
裁判終了後、弁護士による裁判内容の説明を予定しています。
ご参加のほど、よろしくお願いいたします。
(事務局)
これまでの口頭弁論については、こちらをご覧ください。
立ち上がるのは、新たな被害を防ぐため ~『その名を暴け』にみる被害者心理(3)~
『その名を暴け』に登場する被害女性たちは、ニューヨーク・タイムズの取材に、最初は一様に口が重い。秘密保持契約を結ばされていた場合もあれば、加害者を匿名告発したことで、スポンサーから契約を切られるなど傷を負っていた場合もあった。
「ハリウッドの絶対権力者」ハーヴェイ・ワインスタインのセクハラが始まったのは、1990年頃。タイムズがその性暴力についてスクープするのが2017年10月。実に30年近く、女性たちは黙らされていたことになる。
タイムズの記者ジョディ・カンターとミーガン・トゥーイーは、その粘り強い取材により、女性たちにエールを送り続け、そのことが女性たちの口を開かせた。
記者が信頼できる人物だったから…というだけで、証言者たちはすんなり「事実の公表」にGOサインを出したわけではない。
第一報に載ったのは、女優アシュレイ・ジャッドと、ミラマックス(ワインスタインが運営する映画製作会社)の元従業員ローラ・マッデンの被害体験だったが、『その名を暴け』に綴られている、この2人の「公表前夜」の心境は、読んでいて本当に息がつまる…。とりわけ、ジャッドとちがい、映画界とは無縁の一般人になっていたマッデンにとっては、世界中で読まれているアメリカの有力紙に実名が載ることの恐怖感は大きかった。家族への影響も考えたという。しかし――その恐怖を捨てさせたのも、家族だったのだ。
ワインスタインとのことを10代の娘たちに打ち明けたときに、マッデンの娘たちが言ったのは「自分たちの友人の身に最近同じようなことが起きた」だった。加害者は酔っぱらった少年たちだったという。
ミラマックスでわたしの身に起きた出来事について、証言をしなければならないと思っています。……わたしには三人の娘がいます。そして娘たちには、どのような環境であれ、こうしたひどい扱いを“普通のこと”だと受け止めてはならないと教えたいのです。
わたしは報道してもらえることを嬉しく思います。 ローラ・マッデン
これはマッデンが娘たちからの言葉を聞いたあと、タイムズの記者へ出したメールだ。こうして彼女は「公表」にGOを出した。
タイムズの報道は、互いに「個」だった女性たちを結びつけた。
第一報が出たあと、ジャッドとマッデンの勇気に触発されるように、多くの女性たちから2人の記者のもとへ続々と連絡が寄せられた。その中にはミラマックスのロンドン支社従業員時代に被害にあったが、かたくなに取材を拒んでいたロウィーナ・チウ(前稿参照)もいた。
2018年5月。第一報から5か月後。
ワインスタインが起訴され、裁判が進む中、タイムズの記者たちは、チウも含めてこの取材に協力してくれた女性たち12人を一堂に集めて「集団インタビュー」を行った。『その名を暴け』の終章「集まり」にはその様子が収録されている。なごやかな座談会のような雰囲気で、同じ傷を受けた者たちが初めて対面し、お互いにエンパワメントしあう場となった。チウはこの「集まり」を経て、数か月後にタイムズにワインスタインからの被害について寄稿。アジア人に強いられている「『波風を立たせない』というような不文律」を破ってカミングアウトした。
「今夜ここに来て、みなさんの考えを聞けて本当によかった。特に、なにがみなさんの背中を押して、どうやって進み出たのかを聞くことができて」
ロウィーナ・チウ
「わたしたちはいまも笑っている。足を一歩前に踏み出したからといってだれも死んでなんかいない。わたしたちは炎の中を歩いたけど、みんなその向こう側にたどり着いた」
ゼルダ・パーキンズ(元ミラマックス・ロンドン支社従業員。チウの先輩だった)
ほかの人に同じ思いをしてほしくない
Aさんが一昨年10月に初めて、出版ネッツに相談に来たときのことをよく覚えている。性被害について、涙をも交えて話してくれたAさんに「つらいのに、よく話してくれましたね」というようなことを言ったら、Aさんの答えは「私にしたことを…(加害者が)他の人にもするかもしれないから」だった。
誰も好き好んで裁判なんかしたくない。お金も時間もかかる。それでも立ち上がるのは、再スタートのためには、加害者からの謝罪と「もう二度とあんなことはしない」という言葉がほしいからだ。Aさんに起きたことは私たちの誰に起きても、おかしくはない。そしてAさんと同じく、「ほかの被害者が生まれてほしくない」という思いで、私たちもこの裁判にのぞんでいる。Aさんがつらいときは私たちは涙をわかちあいたいし、最終的には裁判の結果が笑顔をわかちあえるものだといいと願っている。
(木下友子)
Aさんの「応援団」にはならぬとも……
Praise the braveというプロジェクトをやっている性暴力被害者・セクハラ被害者の八幡真弓です。
Aさんが、大変な経験のなかで道を切り開こうと行動されていることをうかがっています。
Aさんが行動をされると決められた頃、私も「応援団に入らないか」と声をかけていただきました。
その瞬間の私の正直な気持ちは、二つ。
「それは大変な決断! 応援!」という肯定的な気持ちと、
「私にはそんな機会はなかったのに」という当惑でした。
私自身も、約10年前に性暴力被害・セクハラ被害を受け、全てを失う経験をしました。
それから何年も、味方もなく結果も得られない闘いを続け、心身ともにくたびれ無力感を深めました。
その間、どこかで声を上げる人たちの様子やそれを応援する人たちの様子を目撃すると、悔しく感じたり、当時のどうにもできない状況・状態の「私」を恨んだりしていました。
近年になり、加害追及とは違いますが被害当事者としての活動をするようになりました。
でも、私は(自分はここまで乗り越えられたからOK!)ではなく、悔しかった時の気持ちを大切にしていきたいと思っています。
なぜなら、今も現在進行形で当時の私のように感じている人がいるはずで、可能ならばその人たちの側にいさせてもらいたいと思っているからです。
そんな複雑な気持ちを抱えた私が、ただシンプルにAさんの「応援団」に参加するのは違うなと思いました。
なので、私は今も外野にいます。
でも、外野の私にも証言できることがあります。
今の日本で被害者として行動する時、強大な「勇気が必要」であり、また、得られそうな効果に対してとても見合わないほど甚大な「苦労を要する」ことを、私は痛いほど知っています。
この「勇気」と「苦労」に覚悟を決めて向き合い、Aさんは行動しているはずです。
それは、相当な信念がなければできることではありません。現在の日本の状況では、衝動や怒りだけで選択できるほど簡単でも便利でもない行動なのです。
また…これも自分の経験からですが。
どんなに信念強く前進していても、くたびれて投げ出したくなることが時折はあるはずです。
そんな時、前進する人が追い詰められてしまわないために、退路は絶対必要です。
Aさんが行くも戻るも自由に選択でき、退路の有無を心配せず安心して前を向いていられるように、私は後方にいます。
この闘いが「社会のために!」と背水の陣で挑む闘いではなく、ぜひ、Aさんの人生の栄養になるアクションでありますようにとお祈りしています。
(八幡真弓)
加害者と仕事を続ける場合がある ~『その名を暴け』にみる被害者心理(2)~
前稿で「被害者がNOをいうのは簡単じゃない」ということを書いたが、引き続き『その名を暴け』の証言者の多くに共通している点について書きたい。
それは「その後も、加害者と仕事を続ける人が多い」ということ。キャリアのために、生活のために…というのが主な理由だが、当然ながら心身の負荷は大きい。「性被害を受けた人は即、警察に駆け込み、加害者とは二度と遭わずに再スタートするはず」というのは幻想に近いもののようだ。
たとえば、前稿で例に出した加害者ハーヴェイ・ワインスタインが運営する映画製作会社ミラマックスのロンドン支社の従業員だった2人の女性(被害当時ともに20代)の場合…。
ローラ・マッデンは、その後、ミラマックスに6年間とどまった。
被害に遭ったことは女性の同僚に打ち明け、彼女経由でワインスタインから「二度としない」という「誓い」をしてもらった。ロンドン支社勤務だったので、アメリカ人のワインスタインとは距離があり、安全でいられたのも大きかった。過去については「妥協しながら」日々を過ごしたという。その後映画界を去り、結婚・離婚を経験し、シングルマザーになったあとも「人からとがめられることをしたという感覚を消せないでいた」「会社から逃げ出さなかったことを世間から責められるのが怖くて、声を上げること」ができなかったという。
ロウィーナ・チウは、先輩の女性社員(ゼルダ・パーキンズ。自身もワインスタインの被害者)が力強い味方になってくれた。2人は弁護士に刑事事件の手続きを求める。「物質的な証拠がない」として示談をすすめられるが、目的は無条件に示談金を得ることではなく、「会社に変革」を起こすことだと主張。示談書には「ワインスタインの行為をやめさせるための条件」として、「セラピーを受けさせること」といったことを盛り込んだが、相手方からは示談金支払いのために事件の口外を禁じられる守秘義務を結ばされるという報復に遭う。
これでは、映画界で新たな職場を求めて転職活動をしても「ミラマックスという一流企業をなぜ突然辞めたのか?」という面接での質問に答えられない。当然ながら再就職活動は頓挫した。
被害から9ヶ月後、チウが採った選択肢は、加害者の会社であるミラマックスに復帰することだった。示談の際、同社は彼女の再就職先に推薦状を出すことを約束しており、そのため彼女は顧問弁護士に他社への伝手の紹介を頼んだのだったが、その依頼に弁護士は「戻ってこないか?」と答えたのだ。チウは香港を拠点に仕事をすることになった。上述のマッデンと同じくアメリカのワインスタインと距離を置けたことが奏功したのか、新天地での仕事に夢中になった。
しかし、「ハリウッド映画にリメイクできるアジア映画を探すこと」という彼女に任された仕事にいくら真剣に取り組んでも、アメリカ本社からの反応は薄いものだった。しだいにチウは気づく。「この仕事が自分をワインスタイン傘下に留めておくために考えだされたまやかし」だったと。その後鬱病になり、すべてと「縁をきって」、故郷のロンドンに戻ったのは、自殺未遂を2度起こしたあとだった。
(木下友子)
被害者がNOをいうのは難しい ~『その名を暴け』にみる被害者心理(1)~
2017年ハリウッドの映画プロデューサー、ハーヴェイ・ワインスタインの20年以上にわたる女優たちへのセクハラが発覚。#MeToo 運動に発展した。
書籍『その名を暴け』(ジョディ・カンター/ミーガン・トゥーイー著)は「ニューヨーク タイムズ」の女性記者2人が第一報を報じるまでの軌跡と当事者女性たちのその後を追ったノンフィクション。
本書に登場する女性たちの被害実例について、このAさん裁判に関心がある人と分かち合うべく、数回に分けて文章を書きたい。
2人の記者がこの問題の調査を開始したのは、女優ローズ・マッゴーワン(※1)の「以前某プロデューサーにレイプされた」とツイッターへの投稿を目にしたことがきっかけだった。関係者への綿密な取材を通して明らかになったのは、大勢の女性が性的被害を受けながらも、「秘密保持契約」の下、それを口外することを阻まれていたことだった。
報道の盛り上がりに押されるように、ワインスタインは司法追及され、2020年3月、ニューヨーク最高裁判所にて、禁固23年の判決が下り、現在服役中である。
なだめたり、「達したふり」をして、逃れるしかない
本書を読んで、あらためて衝撃を受けるのは被害を受けた女性たちが、一様に「その場では明確に拒絶できなかった」と語っていることだ。
「……これが普通のことなのかもしれないと精神的に完全に追い込まれてしまった感じがした」
ローラ・マッデン
ワインスタインの泊まっていたホテルの部屋に呼ばれ、「マッサージをしてほしい」という要求に応え、それがエスカレートした結果、「シャワーを浴びよう」と誘われたマッデン(※2)。ワインスタインの指示どおり、服を脱ぎ、シャワーをともに浴びた。自慰行為をみせられたことで悲鳴を上げ続けると、ようやくワインスタインはシャワー室から出て行った。
「……わたしはすぐにはNOといえなかった。そんなふうに彼と対決したくなかった」
ロウィーナ・チウ
出張先のホテルで「脚本読み」という作業をワインスタインとしているとき、「マッサージをしてあげる」と誘いを受けたチウ(※3)。「仕事を続けたい」と断りながらも、「なだめるため」にタイツを脱いでマッサージさせざるを得なかった。4時間に及ぶやり取りの中で、ベッドまで運び込まれ、足を大きく広げられる被害に遭った。
「頭が真っ白になったの。ここから生き延びることだけを考えていた」
浴室にひきずりこまれ強引に裸にされたマッゴーワンの場合は、「そこから逃れるためにオーガズムに達したふり」までしたという。
日本では、性暴力が刑事裁判で有罪となるには、いまだに「加害者は暴行・脅迫したか」「被害者は抵抗したか」が重要となる。俗に「抵抗要件」などといわれるものだが、諸外国では、これが撤廃されつつある。「被害者はセクハラ行為中、心身がフリーズし、抵抗できないものなのだ」という被害者心理についての社会的合意が形成されつつあるのだ。喜ばしい。日本の場合は、暴行・脅迫や抗拒不能(身体的または心理的に抵抗できない状態)が認められないとして不起訴となった性犯罪事件は年間200件近くに及ぶ(2018年度の法務省データ)。
性被害は誰にも起こりうる。職業や年収、社会的地位の高低に差はあっても、その被害は等しく衝撃的で、「拒絶が難しい」ものなのだ。そして、それを口外するには大変な勇気が要る。高額なギャラを得ているハリウッドの女優や映画産業で働く女性たちでさえ、そうなのだ――ということを胸に刻みたい。
(木下友子)
※2「ミラマックス」ロンドン支社の従業員
※3「ミラマックス」ロンドン支社のアジア系従業員
ミラマックスは、当時、ワインスタインが経営していた映画製作会社
出版社:新潮社、翻訳:古屋美登里