「自分のため」に闘うことの大切さ
11月6日、Aさんの裁判を支援する集会で、この事件の内容を具体的に知り、支援の輪に入ることを決めました。
私は以前働いていた職場での団体交渉中に、経営陣から度重なる嫌がらせ、不当労働行為とされるハラスメントを受けました。交渉は無事、合意に至りましたが、そのハラスメント行為への謝罪は最後までありませんでした。当時受けたハラスメントは数年たった今でも忘れることはできません。
労働者をいいように搾取しておきながら、当たり前の権利を主張した途端に「裏切られた」と敵意をむき出しにし、嘘に嘘を重ね、相手を陥れるための手段を選ばない。Aさんの事件内容とは違いますが、加害者の態度はよく似ているように思いました。
私は当時、更に厳しい状況にあった同じ職場の非正規労働者や、共に闘った同僚のためにも絶対に負けられない、という気持ちでいました。私自身、充分に傷ついていたはずなのですが、「誰かのために」という気負いによって経営者や上司から恨まれるような自分の行動を肯定していたのだと思います。
田嶋陽子さんの『愛という名の支配』(新潮文庫)に「人は、他人のために闘うほうが闘いやすいのです。でも、自分のために闘いだしたとき、人はやっとひとりの人間になれるのです」という一節があります。
この言葉に出会えたときに、当時の居心地の悪さの正体が分かった気がします。私は私のために闘うべきでした。
そして今、自分のために立ち上がったAさんの勇気と覚悟を心から尊敬します。これまで多くの女性たちが「自分のため」に闘ったことによって、少しずつ、しかし確実に社会は変わってきました。
この国で、女性が声をあげることの難しさは、既に多くの人が肌で感じていることだと思います。それでも立ち上がったAさんのアクションによって、必ず何かが変わることを信じています。
ただ、当事者であるAさんだけがその重荷を背負いすぎないよう、私のできる方法でサポートさせてください。
(Aさんを支援する会・世話人S)
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