フリーライターAさんの裁判を支援する会

すべてのハラスメントにNO!性暴力と嫌がらせ、報酬不払いを許さない! 勇気をもって声をあげたAさんの裁判を支援する会です。出版ネッツのメンバーが運営しています。

フリーライターAさんの勝訴に寄せて

 

 

性暴力の現実から支援のあり方を考えるために被害当事者の語りを分析した本『性暴力被害の実際──被害はどのように起き、どう回復するのか』(齋藤梓・大竹裕子編著、金剛出版)によれば、性暴力被害とは、一人の人間として意思を尊重されず、道具やモノのように扱われる、支配下に置かれるという「尊厳/主体性を奪われる」体験だという。そして、その被害からの回復のプロセスには、自分の受けた行為が性暴力だったと認識することと、加害者に対してノーを言う、自分自身を助けるなどの行動を起こすことが共通しているという。この本を読みながらまず思ったのは、それならAさんは出版ネッツにつながる以前から、すでにその道に歩み出しているということだ。

 

被告からの度重なるハラスメントに、必死にあらがい、体調を崩しながらも請けた仕事を続けようと努力した。支払われない報酬を求めて被告に交渉し、「労働110番」(東京都労働相談情報センター)に4度も電話をかけたという。雇用されていない場合は対応できないと言われながらも諦めず、相談に行った労働局で、フリーランスの相談窓口として出版ネッツのことを紹介されると、すぐに連絡をとった。

 

Aさんは、自身が受けた行為を性暴力だと認識した後、この性暴力をなかったことにしてしまったら、新たに被害に遭う人が出てくるかもしれないと提訴を決意したという。裁判が始まってからも、体調のアップダウンに苦しみながらもつねに毅然とした態度で、口頭弁論や証人尋問に臨んだ。どれほど苦しいものだっただろう。今回の勝訴判決がもし違うものであったとしても、Aさんは回復への道のりを力強く歩んでいくと、わたしは確信している。それが容易なものではなく、長く曲がりくねった道であったとしても、Aさんの勁さ(レジリエンス)への信頼はゆらがない。

 

ところで、「自身の受けた行為が性暴力だと認める」までに長い時間がかかる場合があることに、同書は触れている。恥の意識や自責の念などが、性暴力の認識をさまたげることがある。被害を受けた年齢が幼い場合、加害者が先生など指導的立場の人(被害者が尊敬している、周囲もそんなことをするはずがないと思っている)、恋人や配偶者などすでに親密な関係にある場合(性的接触を受け入れるべきだと思い込んでいるなど)、性暴力だと思い至るのに何年も何十年もかかることもあるという。

 

実際、Aさんの裁判に広報チームとして関わるなかで、わたしたちのうちの何人かは、記憶の中に閉ざしていた理不尽な体験は性暴力だったのだと自覚することになった。わたし自身、同書を読みながら、記憶の端っこにひっかかっていた出来事は地位・関係性を背景に「断りきれない」「この状況を脱するにはそうするしかない」というある種の性暴力だったのかもしれないと思うようになった(何ができるわけでもないが、ほんとうは嫌だったんだよね、と過去の自分に言ってやりたい)。

 

ニュースによると、性暴力の否認は相変わらずだ。映画監督は加害を報じた週刊誌を名誉毀損で提訴、衆議院議長は事実無根として抗議する文書を公表している。だが、定番だった被害を訴えた女性へのバッシングは散見されるものの、ネットニュースの論調はおしなべて「性暴力=アウト」だ。潮目は変わったのだ。容易なことではないだろうけれど、加害を指摘された人が自らの性暴力を認めることは勇気ある行動だとわたしは思う。再発を防ぐこともそこからしか生まれないのだから。

出版ネッツ・山家直子)