性暴力は、自己責任じゃない
私は現在、性暴力の取材に注力しているライターです。
Aさんの裁判が人ごとではないと感じるのは、日頃から性暴力事件を取材しているからということもありますが、Aさんと同じように私もフリーライターだからということも大きいです。
私は20代の頃にフリーライターとして働き、その後会社を起ち上げ、数年前からまたフリーになりました。今思えば、ある程度の経験を経て独立した今と比べ、20代でフリーライターの名刺を作って細々と仕事を始めた頃は、本当に日々不安でした。
当時はよく、「人脈を作らないとダメだよ」と言われました。そう言われていろいろなところに顔を出しましたが、飲み会やイベントにいて、仕事をくれる話をするのは、男性が多かったように思います。
雑用を無償で頼まれて断れない雰囲気になるということがありました。こちらから頼んだわけではないのに、勝手に「弟子」扱いされそうになったこともありました。そうなるとフリーなので基本的に相談する相手がいません。そういった状況にあるフリーランスの立場につけ込む人がいます。
自分でフリーを選んだのだからそんなの自己責任だと言う人がいるのであれば、反論したいと思います。そのような自己責任論は、加害者の反省を阻みます。
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被告側は、Aさんの納品物の質が低かったから支払いをしていないと主張していると聞きました。同じライターとして、大変腹が立つ主張です。
被告はお客さんから「エステに満足できなかったからお金を払わない」と言われて納得するのでしょうか? あるいはトンカツを食べに行って、まずかったらお金を払わないのが当然と思っているのでしょうか。
文章はエステや食品と違い、納品物を制作し直すことができます。だからこのようなことを言って当然だと思っている発注者が、ときどき現れます。
「部品が欠けている」など明らかな不備がわかりやすい工業品であれば話は別ですが、文章は人によって評価が分かれやすいものです。発注側の気持ちひとつで「質が低い」という難癖をつけやすいものです。
当初被告はAさんの仕事ぶりを称賛していました。支払いの話をした途端、ライターの立場が弱いことにつけ込むかのようにしてこのような理不尽な主張が行われるのであれば、私は断固としてAさんの側に立ちます。
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性被害に遭った後も仕事を続けたり、被告にメールを送っていたりすることが不自然だと思われる人がいるかもしれません。
けれど、性暴力を行った側が何事もなかったように日常業務を行うのを目にして、「自分も同じように過ごさなければ」「ことを荒立てない方がよいのかもしれない」と思う被害当事者は珍しくありません。仕事で上下関係があればなおさらです。
心の奥底で「おかしい」と思いながら、それを言い出せない状況に置かれることは、あります。いじめや虐待でも、被害者と加害者が普通のコミュニケーションを取っていることがあった、という場合があるのと同じです。
性暴力はひどい暴力や脅迫のもとで行われるものだけではありません。日常の延長の中で、言葉巧みに誘い込まれたり、騙されたりして、抵抗や抗議をできない状況に追い込まれます。
被害者側からの視点や心理が、今よりも理解される社会になることを願っています。
(フリーライター 小川たまか)
小川たまかさんによる、Aさんの事件の記事